2015年3月31日火曜日

栃尾の春はゆっくり・・・・・。


観光地での賑わいやめぐる歴史などを楽しんだ後に
なぜか、栃尾がいいと思う。
60年も見て、聞いて、さわって、そのなんとも言えない
あったかなぬくもりを感じる朝です。
栃尾のいいところ
栃尾ののどかさ、栃尾のかざらない自然風景は
観光地と違って、妙に落ち着きます。
椿が語り、水仙が笑うと
昨日の憂鬱は、春風にのって飛んでいくようです。
前を向き、時々後ろを振り返り
仲間と夫と娘と語らう。
栃尾のゆっくりな春は私に丁度よい。


2015年3月30日月曜日

恩ある方に何を返したらようでしょうか

豆撰創業当初、豆撰のあぶらげを知らないひとばかり

営業の基礎も何も知らない25年前に
幾度もくじけそうになった時に
「おいしいから」と豆撰とお取引を一番手にお申し出をいただいた
恩ある社長が亡くなりました。
その後も「地域に根ざした店づくりをしなさい」と
年に一度の大感謝祭も教えてくださった社長 。
今では豆撰の定番行事につながっています。
在りし日のはつらつとしたお顔が浮かんできました。
一度もその感謝の言葉を伝えることなく
他界されました。
なぜ、元気なうちに感謝の言葉を伝えられなかったのか
考え込んでしまいました。
思った時に
感謝の言葉を伝えなければと
後悔の念でいっぱいです・・・・・。

2015年3月29日日曜日

生きていることの幸せ



「明日は小田原に行こう」と
前日の就寝時の夫婦の会話というより私の独断決定。
「また出かけるのか?」と少し戸惑っている様子の夫。
「じゃあ、年寄りのおかず作っておいてくれ」
そうなのです。我が家には樹齢90年の老人がふたり同居しているのです。
愛猫に向かって私は「だってさ、元気で歩けるうちに出かけないとね。煮物を作って
3食分のごはんを焚いていくから大丈夫だよね、マメ」と少しだけ後ろめたい気持ちを
愛猫に訴えて同意を求めました。
「奥様のお好きなように、私はあなたがいてもいなくてもどちらでも、いえ、
ばあちゃんの方がむしろ優しいですよ」と私の目をそらし、あっちを向いてしまいました。
そして、なんだかんだと言いながら
昨日の朝は小田原へ向かったのです。
上越新幹線で東京へそして東海新幹線で小田原へ
早い早い早い
なんて、新幹線は早くて便利なのでしょうか!
小田原城を散策し、桜見には少し早い感じでしたがまずまずの観光でした。
北条早雲について、それに関わる上杉、豊臣、徳川と変遷された物語を
桜は見つめ続けてきたのだろうか

小田原を後にして電車で入生田 に向かいました。実は駅員に尋ねたら
かまぼこの鈴廣さんはこの駅で下車してください。と・・・
でもそうではなかったのです。間違いも、いいものです。


入生田では樹齢300年のしだれ桜、関東でのお花見スポットの名所だったのです。
上り坂を30分くらい歩きました。息が切れてしまい、体力の低下をひしひしと
感じました。
この大木は高貴な人も、武士も、農民も犬も猫もこの世に生を受けたものの
「想い」を枝につけて毎年毎年私たちに見せてくれているような不思議な 縁の花びらでは
ないだろうかと想像と妄想に酔いしれ、娘に伝えたくて電話をしました。
「今、映画みているからあとで」
と言われ、即iPadを切る私でした。
それから最後は食べ物です。小田原名物の「鈴廣」さんに行きました。
風祭駅は鈴廣さん専用駅のようで、またまたびっくりしました。
お土産を買って、今回は忘れないように、忘れないように
電車に下りる度に確認して帰路につきました。




2015年3月26日木曜日

雪国植物園の春のおすそわけ

 
 
 

少し風がありましたが
のんびりと1時間半くらい、雪割りそうを愛ながらの散策。
東京とは違い、人に酔わない。
数少ない人。すれ違う人に軽く会釈する。
のんびりはいい。

先日、娘に「お母さん、わざとネタつくりのために忘れ物をするの」と
とがめられました。
「あれは、お父さんよ」と言い返した私でしたが・・・・・。
鉢植えの雪割りそうを最後にみて、かわいい便せんを2冊購入。
さあ、かえりましょう。と出口へ
「あら、忘れた・・・・・・」と売店にもどりました。
今回は大丈夫、植木鉢のところにそのままありました。
どうして、こうなるの?

とかれた木々

 

庭の囲いの中で、窮屈そうに、それでも
つぼみをつけ
頑張っている木々たち
ようやく、縄はとかれ枝は青空に向かって広がる瞬間。


秋に植えられたチューリップも芽をのぞかせています。
何色の花が見られるのだろうか
まだ咲かない赤、白、黄色を想像すると
わくわくする。

今日は夫の63回目のお誕生日にあわせて
結婚以来はじめてのお休みをもらいました。
保育園時代は3月26日は入園説明会でした。
帰宅するのは夜の10時ころ、
そして豆撰創立以来、はじめての試みです。

囲いが終わったら、雪国植物園にでも行きましょうか
少しずつ、足を鍛え、守門登山に備えましょうか。

2015年3月23日月曜日

もったいない

目に見えない放射能の恐怖を知りながら
汚染された水は海に流され、魚のみならず農作物への大きな影響、
そして、子供たちへの悪影響を考えたら心が重くなり、
全部の原発を廃炉にしてほしいと願ってしまいます。
廃炉問題はそれぞれの考えがあるのでしょう・・・・・・。
では、私に出来る事はなんでしょうか?
節電節水の呼びかけは、最近では全く聞かれなくなりました。

豆電球で暮らした子供のころを考えると
今の生活は、夢の世界です。
ボタン一つで、部屋中、家中が明るくなり、
暖房も冷房も出来ます。
とても便利な生活から不便な生活経験者でも
戻れそうにない、戻れないのが現実です。
でも、ちょっと考えたらいくらでも節電できることはあります。
原発の問題はそれぞれの考えがあることでしょう。
しかし、節電に対するLED電球や機械器具を取り替えることも
うなずけますが、最も簡単な節電方法さえも、社会も電力会社も
口を閉ざし、小さなことは取り上げなくなってしまったような気がします。

先日スタッフのHさん「子供たちは水道代はタダだと思っていたようなのです」と
話す言葉に唖然としました。
出しっぱなしで歯を磨いていたら、母に「もったいない」と叱られた時代の教えは
どこに行ってしまったのでしょうか。









2015年3月22日日曜日

小さな旅鎌倉、またやってしまいました。





朝八時過ぎに、東京行き新幹線に乗りました。今回の小旅行は鎌倉です。
戸塚で乗り換え鎌倉に向かいました。私たちを乗せた電車は車内アナウンスで北鎌倉にも止まるらしい事を知り、北鎌倉駅で下車することにしました。何故ならランチは北鎌倉にある「去来庵」と決めていたからです。ランチの場所はこの便利なアイパットですぐに確認できました。このアイバットは初めてのお供でした。10分くらい歩き目的地へたどり着くと、結構たくさんの人が並んでいました。外で待つこと30分。お店はかなり古い武家屋敷のような純和風のお店でした。メニューはビーフシチューのみです。大きな人参がふた切れ、メインの牛肉はかなりのボリュームでした。お腹が空きません。おやつを食べるスペースはなくなりました。

その後見学した建長寺、鶴岡八幡宮で、行き交う人の多さに、雪国との違いを痛感しました。鎌倉幕府5代執権北条時頼から徳川幕府へと物語りの大きさを考えたら当たり前かもしれません。そして国の長は温かく雪のない地を選び繁栄させていったのにもうなずいてしまいます。

 

また、梅は終わり、桜にはちょっと早いこの季節でしたが
はじめてみる花ミツマタなどが私たちを温かく出迎えてくれました。


江ノ電に乗り換え、長谷寺の観音様の迫力に圧倒されました。いよいよクライマックス、もちろん鎌倉の大仏様とご面会を果たしました。そして鎌倉駅に戻り、お土産選びを楽しみ、どうしても食べたかった鎌倉ドラやきをたくさん買い、東京から長岡へ、長い新幹線の道中は本を読むことも出来ました。楽しい一日の終わりを目の前にして、小さなしあわせに満足していたはずなのです・・・・・・。、長岡に下りました。
しかし!やはり!やってしまいました。新幹線の棚の上にお土産を忘れたのです。
鎌倉の歴史、三代将軍の母上など数々の想いを想像する旅は、はからずも、忘れ物で私の小さな旅鎌倉旅行は忘れぬ旅の一ページとあいなりました。

2015年3月19日木曜日

窓の外はなごり雪、内は春爛漫


タマネギの芽がどんどん伸びています。
それも横にどんどんと・・・・・。
どこまで行ったら花が咲くのだろうか?


黄色の少しあつい花びらはちょっと豪華です。
彼女の鼻は自慢で高くなっていました。


赤い花は元気で明るく並びはじめました。
誰が一番に咲くか競争しているのです。
いいのよ、いいのよ何も一番だけがしあわせではないのよ。
遅く咲いてくれるあなたの笑顔は素敵よ。

2015年3月18日水曜日

丁寧語、業界語でわかるのかな?









貯金通帳からお金を引き出したいと願う老人が窓口にいました。



どうも、本人名義の通帳ではないらしい。
しかし、以前は通帳と印鑑があれば
引き出すことが出来たらしいのです。
その会話は聞こうとせずとも、聞こえてきます。
とても丁寧に対応されているのです。ロボットのように
「・・・ことでございます。法律で決められておりまして・・・ご本人様確認が・・・
ご理解いただけましたでしょうか・・・私ども・・・つきましては・・・」
80歳過ぎの老人です。
私が聞いていても、標準語の丁寧語なのか、業界用語なのか
とても、かしこまりすぎて、私まで緊張してしまいました。
マニュアルって、時と場合によるとは書いてないのでしょうか
淡々と事務的に話しを終え、老人は意味不明の顔をして
しょぼくれて帰りました。
栃尾の小さな街なのだから、もう少し相手を見て、話しやすい言葉で会話しても良いのにと思うのは私ばかりでしょうか
もっとも、栃尾弁で話す私に、きょとんとする若いスタッフもいますから
どっちともいえないのですが・・・・・・。

お彼岸に入りました。
豆撰店頭にて「いちご 豆乳プリン」を期間限定で販売しております。

2015年3月17日火曜日

お彼岸に父を想う

父は午年です。私も午年です。
24歳違う親子です。
父は75歳になる年に他界しました。
3人の孫のうち、とりわけ男で生まれたYを異常なほどかわいがり
自慢しまくっていました。
私の娘は「じいちゃんのY自慢にはもう、聞き飽きたよ」というほどでした。

病床につき、入院生活を繰り返し、最後の入院は約1ヶ月でした。
毎日病室に通うYでしたが、彼はいつも黙って父のそばに座っているのです。
いつも黙っているYに、私から「何かしゃべってやったら」とYに言葉をかけた事がありました。
すると、「じいちゃんとYの心はいつも、つながっているから、何も言わなくてもわかるよな」と
Yの手を握りしめる父でした。

ある日私は思いきって聞いたことがあります。
「じいちゃんは子供と孫と、どっちが可愛いの?」と・・・・・・死の渕で
精一杯の力を振り絞り生きようとしている父に、まるで幼児のように
尋ねる娘はいくつになっていたことでしょうか、今から考えると
情けない問いかけでした。
それでも、いくつになっても子供は子供なのです。
答えは決まっていました。

そして、他界してから10年近くになる今日この頃、
父のことを思い出すことの日々は少なくなっています。
それでも、お彼岸を目の前にすると、在りし日の場面が次から次へ浮かびます。
古来から、お彼岸という行事のあることに感謝したいと思います。
「ゆめのかよいじ」のように・・・・・。

2015年3月16日月曜日

小さな心と小さな人間

小さなことに腹を立て、人の気持ちも考えずいることが、時々ある私です。自分では、良かれと思ったり、少しくらいのことは我慢する癖が付いていました。でも私の我慢が、他の人を困らせてしまうことがありました。一日中、自分がかわいそうで、相手の気持ちなど考えないで、うじうじしている私です。そんな時に、一本の電話が入りました。
それは「お元気ですか おてがみれしぴ」をホームページでアップしていた、画面表示の間違いを教えてくれたのです。私のためには本の編集をしてくれた人です。その時はそれほど重要と思わなかったけれど、もう一度開いてみると、本当に読みにくかったのです。すぐに訂正をかけました。そして、思ったのです。私のために指摘してくれた、その気持ちが嬉しいとともに、今朝から、小さなことで、腹を立てていたが、それは私のためにいってくれたことだと気づかされました。小さなことに腹をたてるより、その人の優しさを感じられない自分の方が小さな人間なのだと思いました。さあ、明日からはちょっと成長した自分で仕事ができますように。今日は考える日でした。

2015年3月15日日曜日

お天気に誘われて

お天気に誘われて久しぶりに歩いての出勤です。
旭橋から上に向かって、下に向かってその両方の
川を眺めて歩きました。
流れる川のさわやかな朝の音
さえずる小鳥はいつもより、楽しそうでした。
金沢橋の手前に来ると
去年夏の石積みに積まれた石が
顔を出していました。
こんなにたくさんの雪ももうすぐ消えて春がくるのです。



2015年3月14日土曜日

たわいのない動きは幸せかもしれない

朝食の準備を終え、
食卓につくと、昨日までは1個しか咲いていなかった
サボテンの花が増えていました。
小さな植木鉢のピンクの花は娘の育てていた花ですから
私たち夫婦にはたくさんの想いがつまっています。
大きさがわかるようにと、夫がのみかけの湯飲み茶わんを
花の隣に添えます。
ピンクの花と湯飲み茶わんと夫の手
何気ないしぐさですがこれが私のしあわせの時です。


まだつぼみだった、廊下の花たちもきっと
咲いただろうと廊下に出てみました。
幸せ色は大きく花びらをひろげ、私を歓迎していました。
下向きに、ちょっと恥ずかしそうに咲く花も一緒でした。


リビングに咲くうす紫の花は可憐で、清楚です。
それぞれの花たちにはそれぞれの想いがあるようです。
そして、それを愛でる人にも想いはあります。








2015年3月13日金曜日

最後の御祝い 卒業式





甥っ子は大学卒業を迎えます。

彼が4年頑張ったと誇れるのは、たぶん野球だったのではないだろうかと
思います。小学校から一環して「野球」に情熱を持ち
時には、挫折をし、それでも前を向いてあゆみ続けたことは
叔母の立場で一番誉めてやりたいことであり、叔母としての誇りかもしれません。
しかし、野球一筋で学生時代を過ごした彼が社会人として適応できるかどうか
という大きな壁があるはずです。
これからは、その壁を乗り越えてほしいと願っています。
大きな壁は小さくなったり、もっと大きくなったりするでしょう。
それにひるむことなく進むために
簡単なことなのに一番難しいこと。
わからない事をそのままにしないで、友達に、上司に仲間に聞く勇気をもってほしいと
願っています。 助ける勇気も大切ですが助けを求める勇気も大切だと思っています。



彼はとても、優しい子です。
家族、姉、従姉、叔父、叔母まわりの人たち大勢に
愛されて育ちました。特に亡き父の彼に対する「想い」は
言葉では言い表わせない大きなものでした。
そして、愛されるのには彼のもって生まれた性格もありますが
「跡継ぎ」という宿命を負わされ、期待されていたからかもしれません。
期待に反した私が彼に期待をするのは、とても自分勝手ですが
そう思わないではいられないのです・・・・・・。

これが最後のお小遣いになります。
そうしたら
「おばちゃん、ちょっといっぱいお願いします」と
言われました。(笑)


2015年3月12日木曜日

自転車の話

娘は自転車を買いました。
とても気持ちがよく、アメリカのベニスビーチの気候は
最適で、自転車で走りまわっていると電話が朝早くかかってきました。

実は私も春になったら自転車出勤を考えていました。
そこで、「お母さんも自転車買おうかと思っているんだ」
と私が話すと
「お母さん、何年自転車に乗っていなかったの?」
と問われ、
「そうね、40年位かな、そうそう一度乗ったんだけど、表町で挫折して
お父さんからトラックで迎えに来てもらったことがあったね」と私。
すると、
「買う前に試し乗りしてみた方がいいと思うよ」といわれてしまいました。

なるほど、そうかもしれない。試しは大切かも?





2015年3月11日水曜日

シニアシフトの衝撃の中に

村田裕之氏の書かれた本「シニアシフトの衝撃」の
ある箇所に・・・・・・スイスに度々仕事で行きます。
スイスは物価の高いのに驚かされています。
そして、村田氏にはお気に入りホテルがあり、
いつ訪れても、常にウエートレスが素敵な笑顔で対応してくれる。
その笑顔のもてなしを受けると、少し位値段が高くても許せてしまう。
コストのかからない高付加価値策とは「精神的な手間」と書かれています。
なるほどとうなずき・・・・・・。
私も先日、村田氏とは違いますが、随分安い温泉に泊まったことを思い出しました。
安い温泉でしたから、正直なところ、あまり期待をせずにでかけました。
だから、あちらこちらに、スタッフの手間が省かれている、つまり合理化を
図っていました。スリッパはなし。コーヒーはセルフサービスなど。
ところが、廊下ですれ違うスタッフの笑顔、食堂で
出会う笑顔には、おもてなし感が十分伝わりました。
5人の仲間たちは口をそろえ、「また来ましょう」となったわけです。

合理化を図ると「精神的な手間」まで省かれそうな時代に
経営者の経営手腕とスタッフとの関係の深さを感じてきました。
スイスのホテルと安い温泉の共通点は「精神的な手間」をおしまない
「笑顔」にあるようです。

2015年3月9日月曜日

同じ年の仲間

昨夜は同年齢の気心の知れた仲間5人で集まり、寺泊に泊まりました。同じ年齢という結びつきでとても良い関係を40年近く保っています。集まると、もうほとんど子供達は独立しているため、子供の話題よりも、介護と自分たちの老後が話の中心となりました。そして、あまり長生きをしたくないという結論です。つまり、私達の年齢は90才くらいの親を抱えている大変さから、自分たちは子供に迷惑をかけずに、死にたどりつきたいと考えているようです。
私もほぼ同意見なのですが、少し何かが違うような気がします。「人生を楽しみましょう。旅行をして、ランチを楽しみましょう。仕事はやめましょう」と言われるのです。何故なら私だけが仕事をしているからです。でも、なんだか私は仕事が好きかもと思い始めている自分にも気が付いています。
がむしゃらで、働く時代は過ぎたようです。自分にゆとりをもって、楽しく仕事が出来たらと
これからの人生も残りの人生を過ごすことではなく、新たな自分流の人生の始まりかもしれないと・・・・・・。



2015年3月8日日曜日

雛ものがたり

栃尾のひな祭りは4月3日です。一ヶ月遅れの旧暦なのでしょうか。
丁度ひと月前の今頃、母と祖母と私たちで1年ぶりに木箱の中から取り出し、
赤い縮緬を敷き、雛人形を並べていた子供のころを思い出します。そして、4月2日になると、
一日早くしまわれるのです。娘がお嫁に行くことが出来ますようにと願って・・・・・・。
今ではどこの家庭も3月3日の行事になっているようです。

栃尾にも雛ものがたりがあります。古い雛人形はは長岡の殿様から、箱にしまわれ 旅に出されたのです。そして、一日かかって豪商の家にたどり着きました。殿様は豪商の働きを褒め讃え、雛を豪商に預けたのです。一年に一回、雛たちは箱から出してもらい、お酒とご馳走を添えていただきます。静かな世の中を心穏やかに見つめるのです。それから時代は過ぎ、雛たちはまた引っ越しました。借金のかただったのでしょう。そして、その年の4月2日にしまわれ、また長い眠りの旅が始まりました。箱に入ったまま、年月は過ぎました。雛たちの面長な凛々しい顔だちが箱の中で、眉をひそめるのです。雛たちはまたしても主人の都合で、お布施の代償として、お寺の門をくぐることになりました。そして、長い旅が終わりに近づいたのは昭和の時代でした。
しかし、雛たちが箱から出されたのは平成になってからです。
そのずうっと前のこと、戊辰戦争後に雛たちの最初のご主人様、殿様の御位牌の預けられていたお寺で、誰の目にもも止まることなく、物置に片付けられていたのです。
時は流れ、時代は変わり、戦争を繰り返している日本を嘆きながら、箱の中でじっと耐え、平和の来る日を心待ちにしながら眠り続けたのです。それから戦争のない時代がやってきました。雛たちは窮屈な箱の中で、手足を伸ばし、喜んでいました。それから半世紀くらい過ぎたころに雛たちとその持ち主の殿様のお位牌と一緒に現世に導かれたのです。今から10年くらい前のことです。
長い旅は終わり、一年に一度雛段に飾られ、口元には笑をうかべます。なん百年旅をしてきたのだろうか、その間に耳をすませ、箱の中で願ったのは、一体どんなことだったでしょうか、人間の欲は、雛たちの気持ちとは裏腹です。
雛たちには、ただただ安住の場所に自分たちを飾ってくれる、優しい手があればそれでいいのです。そして、祖先のお位牌に会えたことが何より嬉しかったのかもせれません。

この季節になると雛人形にも想いがあるように、私にも雛人形ものがたりを語ったくれた亡き父への想いがあるようです。

写真は毎年お店に飾る小さなお雛様とお内裏様です。

2015年3月7日土曜日

江ノ島へ渡る







梅が丘から新百合ヶ丘で乗換え、藤沢を経て片瀬江ノ島駅に到着しました。
何回も乗り換えたので、ちょっと大変でしたが
この乗り換えが私たちにとってはとても良いことだったことを
帰りの電車で経験することになりました。
さて、目の前に広がる江ノ島弁天橋を渡り
富士山が見えるはずと見渡すと
見えました、またしても雲にかくれ頭だけを出している富士山でした。
記念に撮ってもらったはずなのですが
富士山の影はなくがっかりしました。
まずは、お昼を食べましょうということになり
一番最初に大きな看板、そこにはしらす丼と大きな伊勢海老丼の写真が
私たち夫婦を待っていました。
お腹のすいている私たちは、他のお店を吟味することなく
大きな看板のお店に直行です。
ここでも、私たちは、調べる、探るという事はしませんでした。
即直行です。
看板をみて入ったのですから、メニューを指差し5秒で注文完了でした。
残念なことに私の注文した伊勢海老丼には甘い味噌がたっぷりで
ほとんど伊勢海老の味はわかりませんでした。
私は、そこでまた即決断しました。
島を一周したら、もう一回昼食の取り直しをすることに。
神社、洞窟などを廻り終えて
仕切りなおしは開店寿司に決定しました。
少しだけ、江ノ島で八海山の冷酒をいただきました。
わざわざ、江ノ島に来て新潟のお酒をいただく二人でした。
そして江ノ島をあとに駅にたどり着き、小さな駅は私にとっては
とても優しい。
駅員さんに新宿まで行きたいのですがと尋ねると、
乗りかえでしたら、たった今出ます。でも10分後に新宿までの直通便があります。
と教えていただきました。
やれやれ乗り継ぎしなくてもいいのだからとらくちん気分になりました。
1時間くらい乗ったのでしょうか
来る時には感じなかった症状が出たのです。
腰とお尻が痛い。乗り換えも悪くなかったことに気がつきました。
こんな珍道中を楽しめることが私たち夫婦の小さな幸せでした。



2015年3月6日金曜日

プチ旅行プチ幸せ



東京へ
下調べなしで出かけました。お友達に勧められた「梅が丘」にはどう行けばいいのか
とりあえず、新幹線に飛び乗りました。
やれやれ、と腰を下ろし暫くすると夫はごそごそと切符を取り出し、
「お母さん指定席をとったのか?」と私に聞きました。
私は「そうよ、ここじゃないの?」と・・・・・・。やっと駆け足で着席した席からは遠い席にまた駆け足しました。なにやら、いつもの珍道中の予感がしてきました。
FBのお友達は確か小田急線と書いてあったことを思い出し、
また以前娘が住んでいたつつじヶ丘には新宿で乗り換えた記憶をあてにして、新宿へ
行きました。ここで、大きな勘違いつつじヶ丘は京王線だったと・・・・・・。忘れていました。
それから夫はスマホで確認していました。
というわけで、無事に梅が丘駅に到着できました。色とりどりの梅の花にストレスは飛んで
お花を満喫しました。ゆるい階段のような、ひだまりをあび、、写真を撮り、
心も陽だまりの中に入りました。
つづいて江ノ島まで足をのばしました。
つづく・・・・・・。


2015年3月4日水曜日

母と父の気持ち

娘夫婦は、夫の国から他国へと移住、その日が近づいてきました。
私は夫の元へ嫁いで35年が過ぎました。
その日、いつでも戻ってこいと言った父の言葉は永遠に忘れられません。
すぐ近くに住んでも、遠くに住んでも
離れ離れになることは同じ気持ちではないかと思います。
娘のいない生活でも、私たち夫婦と義父母は一緒に住んでいます。
時々意地悪虫がコソコソ動き回りますが、
仕事から帰り、夫がいない時、
家に灯りがともっていると
安堵します。
家族は喧嘩したり、笑ったり、いいもののようです。
娘婿殿の両親の気持ちが痛いほど伝わってきて、
そっと、涙をぬぐっている私です。

2015年3月2日月曜日

勤務スケジュール表

勤務スケジュール表を作成するのは私の仕事。
週に一日しか休日をとらなかった私と妹。
この3月より 思い切って、2日休日を組んでみました。
その勤務スケジュール表を作成したのは、先週のことです。
そして私は
いつものように、
一日の予定を頭に描き出勤。
すると、妹「礼、今日休むんじゃなかったの?」
あら、またまた忘れていました。自分で作成していて忘れる
よほど、仕事が好きなのでしょうか。
やらなければならない仕事もあるので
午後から少し生き抜きにお友達のところに行き
おしゃべりをする予定を立てました。(笑)

写真は先日のNHKさん取材の時にお料理した「あぶらげピザ」です
お子様のおやつに、女子会にいかがでしょうか?


2015年3月1日日曜日

ホタテの天麩羅とあぶらげの素揚げ





やや大きめではありましたが5枚しかないホタテ。

家族4人で5枚をお刺身で食べるには量が足りません。
そこで、かきあげにすることにしました。
人参、ゴボウ、タマネギ、そしてホタテ を加えました。
それでも夫は「これだけでいいのか」と念を押します。
冷凍庫の中を物色・・・・・・みつけました。
あじのひらき、これで準備OK。
おまけに撮影に使った、やきあぶらげの素揚げを加えました。
ボリューム満点。
ホタテの甘さがいつものかきあげを豪華に飾ってくれました。
でも、見た目は・・・・・・。
残り物、焼きあぶらげ の素揚げは、カラッとして
おつまみに、おやつにおすすめ。
我が家の食費事情・・・・・・。